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四間道のご紹介

 名古屋城の築城は慶長15年(1610)に始まり、城下町の建設も同時に進められました。尾張の政治の中心地も清州から名古屋へ町ぐるみ移転しました。これがいわゆる「清州越(きよすごし)」といわれるものです。

 この地区は清州越商人の町として生まれ、堀川沿いには、水運を利用して米穀、塩、味噌、酒、薪炭などを城下町へ供給する商家が軒を連ね繁栄しました。

 四間道は、元禄13年(1700)の大火の後、防火の目的や商業活動のため道幅を4間(約7メートル)に広げたことにより、その名がついたといわれています。

 四間道をはさんで、東側には石垣の上に連続する土蔵、西側には町家が建ち並ぶこの独特な景観は、元文年間(1740頃)に形成されました。堀川から荷を揚げた石畳や屋根神様そして子守地蔵尊など、下町情緒が今も都心に残る貴重な地域でございます。

​ 名古屋市はこの地区を昭和61年6月10日「街並み保存地区」に指定し、歴史的な町並みを守るために必要な建物、保存すべきものを定め、修理・修景工事に対する補助事業などが進められております。 (平成元年3月31日 名古屋市教育委員会 資料より)

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​浅間神社

木花開耶媛命(このはなのさくやひめのみこと)を主祭神とする古社。創建は不明。「尾張志」によると、正保4年(1647年)この地に遷座したとある。境内には樹齢3百年を越すクスノキやケヤキがあり、市の保存樹に指定されている。毎年10月1日・2日に大祭が行われる。

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五条橋

四間道と並行する堀川を渡るために架けられたのが五条橋(ごじょうばし)。かつては清州城下の五条川に架けられていた橋を慶長15年から始まった清州越しの際に、この地に移築された。その為、橋の擬宝珠(ぎぼし)には堀川の開削より古い慶長7年の銘が刻まれており、歴史の流れを感じる事ができる。※現在はコンクリート製へ改修済

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​四間道の蔵

四間道に界隈には、かつての塩問屋・米問屋・海鮮問屋などの蔵が残る

​現在は蔵を改修し個性のある飲食店や物販店、ギャラリーなどに再利用されている

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屋根神様

四間道界隈を守る貴重な御社。津島神社(愛知県津島市)・秋葉神社(全国)・熱田神宮(名古屋市熱田区)を祭神とし、屋根の上に小さな社を祭るという形態は、名古屋独特のものです。これは疫病や火災などの恐怖から身を守るために、庶民の祈りをこめて造られている。※戦災被害の少なかった西区に多く残っている屋根神さまですが、年々減り続けている貴重な文化です。

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​道案内表示

四間道界隈の歩道には この地域ならではの絵(道案内表示)が描かれている所があります。写真は「屋根神様」への案内表示です。

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